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2018年03月16日

西熱郛は何所にある。



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北海道の地図の左下に細くくびれた所があります。
日本海と太平洋が約24Kmまで迫っています。
このくびれた部分のほぼ全体に広がっているのが黒松内町です。
黒松内は、南北を海に東西を山に囲まれた特殊な地形で
地形・地質学的にはこの地域は黒松内低地帯と呼ばれています。
黒松内低地帯の一部は6000年前頃の縄文海進と呼ばれる時代には再び海に沈んでいた様で海岸段丘と思われる地形も観察されています。
黒松内を東から西へ横断する朱太川の河口付近(樽岸遺跡群)をはじめ各所で縄文時代と思われる遺跡が発見されています。
民有地の為精査されていませんが、西熱郛からも古い時代の痕跡が出土しています。
朱太川の分水嶺は遠く太平洋の海岸線直近にまで伸びています。
その距離約250mは日本一となっています。
太平洋まであと250mなのに、礼文華峠に降った雨は後志来馬川を経て朱太川に入り、日本海に注ぎます。
太平洋近いのに~、御苦労様です。
で、黒松内低地帯はかつて海の底だった。
そうなると・・・かつては道南と道央がほんの数十センチ幅で繋がっていた瞬間が存在したという事で、縄文時代の人きっとそこ歩いてたんでしょうね~。
寿都湾から噴火湾に至る30本以上もの断層が確認されている黒松内低地断層帯の存在も相まってココはなかなか不思議な場所なのです。
おまけに日本で5本の指に入る秘境駅小幌駅もあったりして、ツアーも結構な人気なのです。
そんな黒松内低地帯のなんとなく真ん中の近くに西熱郛があります。
海抜90m程度なので低地帯の中というよりは、それを囲む山の端にへばり付いている格好です。


西熱郛に本格的な入植が始まったのは昭和26年で、
秋田県の県庁舎で集団結婚式を挙げた11組の若い夫婦が開拓に挑みました。

入植し開墾を始めた当時、西熱郛には直径80cm程のカラマツ(唐松/落葉)の切り株が
残されていたそうです。
カラマツは北海道には自生していないので、最低でも50年以上前に誰かが植えたのでしょう。
その人達が定着出来なかった理由は西熱郛の標高が高かった事と関連が有ったのだと思います。
 
北海道の開拓の歴史は先住民族アイヌ民族との交易の形で始まり、
次第に労働力の搾取・土地の略奪へと発展して行きました。
松前藩(後に福山藩、更に館藩と改名)の置かれていた道南に始まり、
ニシンの漁場の開拓に伴って北上しました。
松前藩の歴史は室町時代にまで遡りますが、昔の北海道では米が取れなかった為
石高は無く、暫定的に1万石の大名として処遇されていました。

当初の2年間は男性のみが集団で粗末な居を構え、
3~4mもある一面に生えたチシマザサを刈り、木を切って抜根しては
少しづつ耕地を広げて行きました。


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2018年3月16日 書きかけ中です。





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Posted by サヴァイバー at 15:52│Comments(0)西熱郛(ニシネップ)
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